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今日のネットニュースに興味深い記事を見た。
『福岡県赤村で確認!新・卑弥呼の墓は本物か?』
記事によると、グーグルアースで偶然見つけた巨大な前方後円墳らしき地形。
これが本当に古墳だったら
大阪府にある日本最大の「大仙陵古墳」に次ぐ大きさになるそうだ。
福岡県の歴史愛好家らは、これが卑弥呼の墓ではないかと期待を寄せているらしい。
歴史はロマンである。
また、考古学的な新しい発見があれば
今までの通説などあっさりと覆ってしまうのも面白いところなのだ。
でも、でも、でも、
魏志倭人伝によれば「卑弥呼の墓」は【円墳】と書かれており、前方後円墳ではない。
以前に、奈良県桜井市の箸墓古墳(最古の前方後円墳)が卑弥呼の墓ではないかと疑われていた。
初めに造られた円墳に、後から方墳をくっつけて前方後円墳にしたのだ!と。
しかし、調査の結果、円墳部と方墳部は同じ時期のものだったことが判明。
初めから前方後円墳だった事が証明されたのだ。
何が言いたいかというと
なぜ素直に「卑弥呼の墓は円墳」という前提で考えないのか。
それが不思議でしょうがない。
きっと、魏志倭人伝に書かれている「卑弥呼」が
日本で一番の「実力者・権力者」で倭国大乱を治めたのだという思い込みが
「卑弥呼の墓は前方後円墳に決まっている」という固定観念を生んでいる気がするのである。
だから、そこには「卑弥呼は地方の有力者なだけでは?」という視点は存在しない。
歴史愛好者(自分を含む)は持論を持っている人が多い。
そして
邪馬台国「北部九州説」「畿内説」どちらかを支持している人は多い。
でも、それを前提として古代史を探っても何も解けないし発見できないと思う。
なぜそんな事が言えるのか。
それは、日本トップクラスの学者達が束になって約100年、
未だ結論が出ない事を見てもあきらではないだろうか。
何はともあれ
この記事の「前方後円墳」らしき地形の調査結果が待ち遠しいのである。



